まず、どれだけ親しい友人だろうが、兄弟だろうが、親子だろうが、
その人のして欲しいこと、して欲しくないことを、
本人に聞かずに完璧に把握することは不可能だ。
上手くいくことはあっても、それは運良く賭けに成功しただけだ。
して欲しくないことをやってしまう可能性は絶対にある。

では、して欲しくないことをやってしまうとどうなるか?

やられた側は、嬉しくないのに、礼儀上、喜ばなければならない。
喜んでいるフリを強制的にしなければならないのだ。それは嫌だ。
自分の物を自分で選びたい人にとって、勝手に物が選ばれるのは、かなり不快だ。
事前に相談してくれればもっと喜べたのに・・・という後悔のようなものもあるだろう。
しかし、かといって、「これは欲しくない」とハッキリ言うと、
今度は、相手を不快にすることになり、
どちらにせよ、面白くない結果になってしまう。

では、やった側はどうかというと、やりたかったことをやったのだから、楽しいだろう。
面白そうなことを考えながら準備してる間はワクワクするだろう。
やった後も「相手のためにやってあげた」達成感で気持ちが良いだろう。
しかし、それらは、相手の不快の上に成り立っている。
「相手のことを考えている自分」を楽しんでいるだけなのだ。
それかもしくは、「いらない」と言われ、無駄なことをしてしまったと、むなしくなったり、
せっかく用意したんだから喜べよ、と相手にキレたりという結果になるだろう。

サプライズは常にこのような悲しい結果になる可能性を含んでいるのだ。

そのことを考える人は、例え内容は成功であっても、
「なんで失敗する可能性があるような喜ばせ方をしたんだ?」とか、
「今回は成功だけど、失敗されると嫌だからもうやらないで欲しいな」とか考えて、
結局、素直には喜べないだろう。

だが、サプライズをするかどうかの決定権はする側にしか無いのだ。
される側は、ただただ突然、サプライズされるしかない。それがサプライズというもの。
なので、される側は嫌だったとしても、回避できないのだ。

さらにひどい場合は、サプライズしたのに相手の反応が微妙なことにキレたりする。
そんなのは、完全に自己満足のオナニーだ。

真に相手のことを考えるのならば、サプライズはやるべきではないと思う。

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